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♪生徒さんの声

♪かほちゃん(高来西小3年)

私は、小学4年生の時初めてピアノコンクールで銀賞を取ることができました。
しかし銀賞を取ることができた裏には、とても苦しかった日々がありました。
ピアノコンクールは私が小学1年生の時から出場し始めました。
最初の頃は、あまり賞などは関係なく楽しく弾いている感じでした。
兄も同じくピアノコンクールに出場していました。
そして兄が5年生の時に初めて銀賞を受賞しました。
その時、兄はすごいと思いました。いつか私も大きい賞を取れるようになりたいと思っていました。その後も兄は良い結果を出し続けていきました。
一方私はあまり良くない結果でコンクールに出場しても落ちてしまい、賞が取れないことも多々ありました。悔しくて泣いてしまう私を支えてくれたのは、母でした。
母はずっと私と兄を応援し続けてくれました。兄は結果が表れて両親はとても嬉しそうでした。
でも結果が表れない私は、兄が誉められているのを見聞きするのがとても辛かったです。
どうして自分はできないのだろうと自分で悩み、たくさん泣きました。そういう日々が続きました。そして4年生でコンクールに出場しました。リズムが難しく、指使いがとても複雑な曲でした。
練習してもあまり上手に弾けませんでした。その状態でコンクールに出場しましたが、案の定結果は落ちてしまいました。その時も悔しくて泣いてしまいました。
するとその私の姿を見た父から「やめろ」と言われました。
「努力もしないで毎回泣くなら、コンクールに出場するな」と言われました。
だから私は自分には兄のような才能はないと思い、
みか先生に「コンクールに出場しません」と言いに行きました。
すると先生に反対され、「まだ頑張れば賞は取れるよ。
悔しいだけで終わらないで。」と言われました。
その先生の言葉のおかげで頑張ろうと思いました。
父にはあまり良く思われてはいませんでしたがピアノ教室までの送迎はしてくれました。
コンクールのために、学校から帰ってきたらすぐにピアノ教室に練習しに行きました。
日々、先生からのアドバイスで課題曲の難しい部分も徐々に弾けるようになりました。
そしてコンクールの日になりました。心臓がばくばくで手が震えました。
しかし、今まで家族や先生にたくさん支えてもらったことを思い出し、全てやり切ろうと思い、演奏しました。とても緊張しましたが、無事にミスなく弾けました。
そして結果発表の時間が来ました。得点の低い人たちから発表されます。
いつもだと始めの方で呼ばれることが多いため始めの方だと思い、
待っていましたが、呼ばれませんでした。
これで私は、もう終わったと思い、諦めかけた時に銀賞で名前が呼ばれて言葉を失いました。
銀賞のトロフィーと賞状をもらいました。
トロフィーは約50センチメートルで賞状も額縁に入れてあり、今までで一番重たく感じました。
そして一生忘れられない良い思い出になりました。
これも両親や先生の協力によって良い結果が出たと思います。
私はこの体験から何かを成功するには、もちろん自分自身の努力は必要ですが、
自分の身の周りの人の助けや応援で私達を支えてくれていることを
忘れないようにしていこうと思います。
これからもたくさんのコンクールに出場していくので、
支えてもらっていることをありがたく思って感謝し、
良い結果を出していきたいです。

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